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「終戦の日」に考える二つのこと。

更新日:2019年8月15日


 終戦の日がやってきます。戦後74年、二度と戦争の惨禍を忘れないようにと、未来の子供たちに伝えていかなければなりません。毎年、ご先祖様が里帰りしているお盆の真っ只中、8月15日に日本人がそうした思いを新たにすることは非常に良いことだと思います。


 私は、この日を迎えるにあたり、二つのことを考えます。一つは、「終戦の日」そのものは各国の思惑の中でそれぞれ異なっている事実があるということ。二つ目は、敗戦国日本の主権回復や平和条約締結で先人たちが獅子奮迅の努力をされてきたということです。


 一つ目の話、第二次世界大戦が終結した日は、世界各国の事情でそれぞれ違う日が設定されています。当事者が異なれば、戦争が終わった日の解釈は異なってきます。戦争に勝った国、負けた国、日本に恩がある国、逆に日本に恨み骨髄の国、それぞれ考えていることが違います。国際法上は1952年4月28日が、平和条約の発効により連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日となります。すなわち、1945年8月15日から1952年4月27日までは(連合国が日本を占領していた)「戦争状態」が続いていた期間なので戦争は終わっていなかったということになります。因みに日本国憲法は、その期間内に連合国側、GHQによってたった一週間で作成されたことになります。


 実際に「終戦の日」は、日本の教科書各社でも微妙に記述が違っています。特に高等学校日本史の教科書の多くは東京湾上の米国戦艦ミズーリの艦上で我が国が降伏文書に調印した9月2日を終戦日としています。先ほどの当事者が異なれば立場が変わるということで言うと、連合国側のほとんどは、この9月2日を終戦の日としています。一部、旧ソ連や中国では、国内の政治的な理由から9月3日が「抗日戦争勝利の日」としています。また、統治国であった日本と戦争をしていない韓国の場合はどうか?一般的に韓国では8月15日を光復節として日本による朝鮮半島統治からの解放を祝う日として「終戦の日」と認識しているようです。


 では、8月15日とは何の日でしょうか?皆さん、ご存知の通り「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」となります。


 だからといって、私は8月15日をないがしろにしようなんてことは思っていません。冒頭申し上げました通り、終戦の日として大切に扱うべきだと思います。なぜならば、国民に日本の降伏が知らされた日、その瞬間に多くの日本国民は複雑な思いに駆られたに違いないからです。軍部、兵士、民間、警察から町内のおじさん、おばさん、あるいは戦地に夫や息子を送り出したお母さん・・感情的にはそれこそ全く違った思いがあったと推察します。彼らにとっての終戦の日は8月15日、その日が一番国民の気持ちに沿っていると思うからです。


 それでは、なぜ終戦の日が当事国によって違うという論旨を展開してきたか?それは、感情に流されることなく、国際社会の共通認識で一番直近の戦争敗戦国は日本であり、その先に日本政府は個別の外交をしてきたという歴史的事実に目を向けなければいけないと思うからです。


 二つ目の話です。先人たちは、連合国に占領された状態から日本の主権を1952年4月28日に回復しました。そして各国と個別の戦争終結(平和条約樹立)の道を探りました。その中の一つが1965年の日韓基本条約です。この条約の第二に、次の記載があります。


 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1950年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。


 ここで、政治評論家の屋山太郎さんと会食をした際にお聞きした話をご紹介します。屋山さんは時事通信記者としてこの条約締結に同行取材されていました。当時の日本政府は念には念を入れて、この条項を入れることに注力したそうです。韓国が約束をたがえることを見越して、莫大な戦後賠償金との見返りで条文を入れたとも言い換えられます。なぜならば、韓国という国の成り立ちは「反日」だということ。光復節の「光復」とは「奪われた主権を取り戻す」という意味を持つ朝鮮語の単語です。日本から主権を取り戻して建国された国との付き合い方を先人たちも心得ていたのだと思います。


 さて、話が冗長になりました。終戦の日に日本人は不戦の誓いを新たにします。それは大切なことですが、同時にこの終戦の日という概念が、現実社会でも起こっている世界各国との政治でいかに大切なことかという事実もあります。立場が変われば、それぞれ見方が変わる。島国日本が、世界各国と対等に渡り合えるように積み重ねてきた外交交渉を粘り強く継承していくことこそ、わが国の主権が守られることだと思います。言い換えれば、それぞれの国の思惑が交錯する外交の現場で安易な妥協をすれば、日本の未来の子供たちにその負担を背負わせることにつながります。だからこそ正確な歴史と経緯を伝えていくことが大切だと思います。


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